引かれ者の小唄

発するということは、つまり恥だと思う今日この頃

三四郎とかいう君の名は

前回の記事は一体何が書きたかったんでしょうかね(笑)

 

 

 

今回は昨日読んだ本の紹介。

 

夏目漱石の三四郎です。言わずと知れた名作。

 

何がいいかって、これは言語化出来ないんですけど、あの懐かしい感じ。ジブリとか洋画を見たときの感じ(笑)未知の世界に入り込めるというか……うん、分からん(笑)まあ、昔にタイムスリップしたような気になれます。それもあの時代で、一番恵まれているといっても過言ではない状況を体験出来ます。これは半分漱石の妄想なんでしょうけど。

 

 

 

田舎から東大生になった三四郎には、全てが光り輝いて見え、その中で彼はある都会的な女性に恋をするんですね。そしてその女性は、小説における鉄板中の鉄板、あっち行ったりこっち行ったり、男をたぶらかしている美少女というわけです……実際にこういう人っているから怖いんですよね。自身の溢れ出る魅力を武器にしてるから、あざといとは思いつつも男達は結局騙されていく(笑)

 

まあ、面白かったです。でもこれって、さっきも書いたように、多分、漱石の「妄想」なんですよね。基本的には「青春」というものをかなり肯定的に捉えている印象を持ちました。勿論そこは文豪、ただ明るいだけではないですけど。  

 

ところで現代における「妄想」的な小説といえば、まず浮かぶのはライトノベルですよね。最近は異世界で戦うパターンが主流ですが、一昔前は学園モノ、つまり高校生という時期をこれでもかと美化して肯定的に作っていく。そして、この手の作品のミソは「青春」を「否定」された人間に向けて作られているというわけです。その仕掛けは随所に施されているように思いますが、それはまた機会があれば書いてみたいです。

 

最近流行った君の名も、砂糖菓子のように美化された青春を描いているわけですが、これは何故かリア充層に受け、非リア層には受けなかった。多分原因は「登場人物のキャラが恐ろしく素直」なところにあると思うのですが、正直よく分かりません。僕は道徳の授業を見さされてるような気持ちになって嫌でしたけどね。といいつつ、ちゃっかり見てるあたりが恥ずかしいんですけど(笑)